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■■■ 逆バームクーヘンエンドってご存じですか「赤司君が結婚するそうですね」 たまたま本屋で行き会った旧型────黒子は、そう言ってガラス玉のような目でじっと黛を見た。 「ふぅん」 相槌のような返答は想定よりも興味の色も薄く零れ落ちた。 ご存じなかったんですか、と旧型の目が問うてくる。前々からずけずけとものを言う人間だと────自分のことは棚に上げるが────思っていたが、口に出さずとも視線が雄弁に過ぎる。生憎黛は赤司からプライベートなことを伝えられない関係だろうとどうでもいいと思っているが、赤司を友人だと認識している相手には随分と失礼な問いではないだろうか。 「そりゃあいつもいい年だし、結婚だのなんだのって話も出るだろうよ。なに、もう本決まりなのか」 「そうですね。招待状を送ってもいいかと聞かれたので」 「へぇ」 副音声をつけるならば「だから何?」が相応しいだろう興味のない声で、黛は相槌を打った。 「本当にご存じなかったんですか」 「ねーよ。つうかお前、結婚式の招待状送ってくるくらいオレと赤司が親しいとでも思ってんの」 「そうですね。少なくとも黛さんが知らされていなかった、ということに驚きを覚えるくらいには」 「そりゃ見込み違いだな」 吐く息が白い。冬の最中に店先で悠長に立ち話なんてするもんじゃねえな、と思いつつ、黛はマフラーの中に首を埋めるついでに肩を竦めてみせた。 「そりゃオレも想定外なことに、あいつとなんだかんだ縁は続いてっけどな。オレからは基本連絡しねえし、あいつも自分が気が向いたときに転がり込んでくる程度だぞ。実家が息苦しいんだかなんだか知らねぇが、避難場所とでも認識してんじゃねーか」 ぱちくり、と大きな目が瞬かれる。 黒子は何事か言いかけたように見えたが、開きかけた口を閉じて生温いものを飲み込んだような顔をした。 「何」 「いえ……認識の違いに少し」 「むしろオレがお前の認識にもの申したいんだがな」 「そうではなく……」 もごもごと何事か言いかけたが、黒子はいいえ、と区切ると強い目で黛を見上げた。 「黛さん」 「何だよ」 いい加減寒いから話を切り上げたい、という意図を持って、殊更つっけんどんに返す。黒子は気にした様子もなく、ふと口の端を緩めた。 「赤司君はきっと、貴方に伝えると思います。その時はきちんと話を聞いてあげてくれませんか」 だからなんでこいつオレが赤司の結婚式とやらに呼ばれると思ってんの、だとか。 そもそもあいつはオレがどう思ってようが勝手に来て勝手に喋るし、何か思い立ったら抵抗しようと付き合わせるんだから、今更話を聞いてやるもなにもない、だとか。 色々脳内をよぎったことはあったが、反論してこれ以上寒風の吹き荒ぶ中ハナシアイをするつもりもなかったので、黛は無言で頷いた。 「ありがとうございます。お引き留めしてすみません」 「いや、別に。んじゃな」 我ながら空々しいとは思いつつ、それだけ返答すると黛は踵を返す。目に付く本もなかったことだし、既に本屋への心残りは微塵もなかった。 黛が背を向けた後、聞かせるつもりはなかっただろう黒子の言葉が届いたのは、送り風の成せる技か。 「まあ、僕は友人の幸せを祈るだけですしね」 友への思いが込められただろうその一言に背筋が震えたことを、黛は寒さの所為にした。 ────さて、黛は赤司に結婚を伝えられなかったことをどうとも思っていない、これは紛う事なき事実である。赤司と黛はそもそも「友人関係」ではない。敢えて形容するなら元先輩と、元後輩。友人関係などというきれいな言葉で収まる関係ではなかった。 赤司は他者から見た『あるべき赤司征十郎』であろうとしている。昔はそれこそ『かくあらねばならない』とがちがちに思い詰め、その幻想によって縛られ息をすることさえ苦しそうに見えた。一度負けてからは、『こうあれればいい』と、目標とする赤司像を体現することに達成感や満足感を得ているように見える。もとより非常に真面目な性質なのだろう。 だがそればかりでは流石に息が詰まる。だからこそ何も気にせずに居られる場所として、黛の側に時折逃げてくるように見えた。黛は赤司のイメージだの理想だのには一切頓着しない。赤司が赤司自身を投げ捨てたり見失ったりすれば流石に黙ってはいないが、それも赤司のためでなく自分が見ていて苛立つからだ。そして赤司も今更黛に気を使わないし、体裁を気にしたりもしない。まさしく避難場所だった。 黛としても、嫌みなほどに恵まれた立ち位置に生まれ、それに相応しい才能と容姿を持ち、漫画かラノベのようなクソ熱い青春を経て人間関係もおおむね良好になったお坊ちゃんが、安アパートの一室で力を抜ききってふやけているのには憐れみを覚えないこともなかったし、他の連中に対する少しばかりの優越感もあった。親子関係こそ軋んでいても、今はもう絆を結び直したらしい友人だの仲間だのがいるのだ。それでも未だ黛の所に転がり込んできているのだから、仮に赤司が結婚したところで、家庭でも『赤司征十カ』の幻想を体現しようと無意識に気を張るだろう。 黛自身は元来他人に興味が薄い。結婚や付き合いなど、考えるだけで面倒だった。他人が自分の領域内に常にいることは大きなストレスでしかない。父母のように、いっそ空気のようにお互いがいることが自然な関係になれば、あるいは黛も楽にしていられるかもしれないが。そこに至るまで自意識と境界線をすり合わせ、妥協を重ねて、固い意志が丸く滑らかになるまで自我をぶつけ合うことは、想像しただけで億劫だった。 だからたぶん、黛は結婚もしないし、恋人も作らないだろう。現時点で友人と呼べる存在さえ怪しいものだ。ならば赤司がいつ訪ねてきたところで、用事がなければ別段構いはしない。赤司は自分を取り巻く日常からほんの一時、楽に呼吸するために逃げてくるのだから、彼の日常たる妻や友人を、この空間に持ち込むことはしまい。せいぜい、関わりのあった洛山の可愛くない後輩どもの近況くらいだ。 ならば赤司が結婚したところで、何も変わる訳ではない。いずれ赤司も呼吸の仕方を覚えて寄りつかなくなるかも知れないが、それはそれで元に戻るだけだ。だから黛は本気で、赤司の結婚になんとも思っていなかったのだ。 以上、回想である。 第六感というものを馬鹿にしてはいけない。本屋での寒気についてよくよく考えるべきだった。いや、何らかの予兆だと気付き、行動するべきだった。 黛は目の前に立つドレスアップした魔王様を上から下まで眺め、その手に握られた赤い薔薇の花束と、それが渡されようとしている相手について改めて考えた。現実逃避だ。 瑞々しく艶やかな花びらが重なり、匂い立つような芳しさが素人目でも分かる、お高いだろう真っ赤な薔薇は、間違いようもなく、黛に向けて差し出されていた。 「────ドッキリかエイプリルフールの先取りという線はないのか」 我ながら死んだ目が更に光を失っているだろうことを自覚しつつ、玄関を開けた瞬間現れたプロポーズスタイルの赤司から目を逸らす。だが閉めようにもびくとも動かない扉を固定する手と、にこやかに微笑みながら恐ろしいほどの鋭さを湛えた紅い双眸から、逃がさないという意思は嫌でも読み取れた。ちなみに今は十二月中旬である。 「分かっているくせに逃げようとするその諦めの悪い姿勢、嫌いじゃないですよ」 だがな流石にこれは────と諦め悪く足掻こうとして、黛は後ろ頭をがしがしと掻き、肺から大きく息を吐き出した。 黛千尋という人間は快不快に正直に生きているが、その実押しに弱くそれなりに流されやすい。とはいえ自分自身がどうしても納得いかないこと、気に食わないことには全力で抵抗し、どうあっても拒否する頑固さも持ち合わせている。 本気で抗うなら通報するだとかいっそのこと蹴りでも食らわせて閉め出すとか、手段を選ばなければよい。そして黛はいざとなれば知己だろうが一切躊躇わない。 ラスボスからは逃げられない。コマンドは対峙するか敗北するか二択のループである。対峙する程の気概も覚悟もなく、絶対的に拒否する理由もなかった。つまるところ、それが答えだった。 玄関先でこれ以上問答することは憚られる。言い訳しつつも赤司を家に上げることを受け入れた、その時点で黛の負けだった。 「それで、どういうつもりだ」 玄関先で敗北したものの、全てを諾々と受け入れるつもりもない黛は、往生際悪くそっぽを向いて問い質した。手渡された花束は一度押し戻したが、にこりと笑って再度押し付けられて諦めた。炬燵の上に鎮座した紅い薔薇はあからさまに浮いているが、赤司は気にした様子もない。 「黛さん、気づいていないんですか」 赤司は真剣な顔をしていた。自分を口説き落とす為のそれでなければ、いい顔するようになったじゃねーかと柄にもなく冷やかしたくなる程だった。 「オレと貴方は気を使う関係ではない。そして貴方は人嫌いの気もあるのに、オレの、アポなしでの訪れもため息一つで許容してしまえる。オレが貴方のテリトリー内で何をしていようと気に障らない」 「オレにとってもそうだ。そんな相手が他に居ると────オレが逃がすと、思っているんですか」 「だとしたら貴方は本当に甘い」 「その甘さにつけ込むオレが言えた義理でもありませんけどね。オレに対する甘さならともかく、他者にも適応されるというなら話は別だ」 畳みかけるように、口を挟む隙もなく次々と吐き出されていた赤司の言葉が一瞬、止まる。一つ息を吸って、開かれた唇から、ぞっとするほどに優しく柔らかく紡がれた声音はベルベットのような肌触りでうなじを撫でていった。 「黛さん、オレは、独占欲が強いんですよ」 噛み締めるように、ささやく。 「貴方の特別はオレだけでいい」 降り注ぐ言葉はあたかも黛を濡らし、その内にまで染みこませるかのように幾重にも重ねられる。 「そして貴方はオレの、特別だ」 好きです、愛してます。 「だから結婚してください」 オレら一応男同士なんだけど、とか。 告白とプロポーズが一緒ってどうなんだ、とか。 男女でもありえねえのに男同士でこれはないどころじゃねーぞ、とか。 そういや招待状だの結婚予定だのって決定事項かよオレが断ったらどうするんだよ正直引くわ、とか。 そもそもオレお前のこと好きだと思った記憶ねぇんだけどな、とか。 色々、本当に色々突っ込みたいところや反論が頭の中に浮かんできて、口から出る前に泡になった。 いくら黛千尋が押しに弱くて流されやすいったって、これはないだろうと思うのに。 「……仕方ねーな」 そこでため息をついてしまった自分のことを、黛はよく理解していた。 「お前本当無茶苦茶だし、面倒くさくて生きづらそうで、どうしようもない奴だよな」 そのどうしようもなく無茶苦茶で面倒くさくて生きづらそうな人間の懇願が────丁寧でも押しが強く断らせるつもりなんて微塵もないくせに、赤司が心から請い願っていることが分かってしまう────悪くないと思ってしまったのだから、黛千尋も大概どうしようもない生き物なのだ。 「黛さん!」 そして黛の受容を、おそらく確信していたくせに(さもなくばここまでの無茶はやるまい、きっと)赤司は瞬時に察して、ぱっと喜色満面になる。 「好きだ愛してるだは保留だ。オレに自覚させてみろよお坊ちゃん」 黛が赤司の意図を読み取るためにその目を覗き込むとき、赤司もまた黛を覗き込んでいる。当たり前の話だ。これでも赤司の精神分析はそこそこの線を行っていると思っている。とはいえ赤司が秘めていた恋情までは黛は読み取れなかったけれど、赤司ほど色々抱え込んでいない黛の心底など赤司にはお見通しだったのかもしれない。だから赤司には見えているのかも知れないが、黛には未だ分からない。ならば認めない。形のないものを引きずり出して結論を迫ったのだから、それに形を与えるのは赤司の役目だろう。 「はい、……千尋さん」 紅い双眸に、錯覚だろう燐光が浮かび輝いているように見える。試合後もなんだかんだアイコンタクトで意思疎通を図ってきた黛でさえ、気圧されるほどの眩しさだった。 同時にほんの微かに刷かれた罪悪感を読み取って、黛は今度こそ完全に諦めた。おそらくこれから降りかかるだろう、面倒だとか人間関係だとか諸々から逃げることを。 黛は赤司の結婚に一切何も思わなかった。それは事実だ。 その事実が、ここに来て変じた。 赤司の そして彼の 多分それが、一緒に生きていくということだ。 [#] 最初は結婚式場の控え室でやろうかと思ったんですが、いくら何でもと思ってこんなことになりました。 タイトルは式で黒子が言うはずだった台詞です。そこまで行き着かなかった。 (18.05.14) |